Earth Interview27 木全ミツ
東京大学医学部卒、労働省で日本のODAの一ページに携わり、ニューヨークで国連日本政府代表部公使として外交に、更にThe Body Shop、Japanの初代代表取締役社長として国内のブランド展開に携わる。退任後、これまで社会で活用されて来なかった日本女性の潜在力の本格的な活用を目指し、認定NPO法人女子教育奨励会(JKSK=女性の活力を社会の活力に)を設立。理事長として様々な革新的なプロジェクトを展開している。高度経済成長期から世界と対峙してきたスーパーウーマンの人生から日本の未来のヒントが見えてくる!?加速するグローバル社会を生き抜く真の国際人に求められる素養とは?アースタイムズ代表、須藤茂が聞く。
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誰かと同じ人生なんてない。自分に与えられた状況を受け入れていくこと。

― 木全さんは現在、NPO法人女子教育奨励会(JKSK=女性の活力を社会の活力に)の理事長として日本女性の本格的な活用を目指し様々な活動をされていらっしゃいますが、こうした活動を行うようになった経緯から教えて頂けますか?

そうですね、それをお話しするに当ってはまず、私自身の生い立ちからお話しした方が良いでしょう。現在、私は76歳、第二次大戦が終わった時は9歳でした。9人兄弟姉妹のど真ん中だったので誰からも期待されない、ある意味、どうでもいい子でした。父は陸軍大佐の軍医として満州で勤務をしていましたので、私たち家族も満州新京に住んでいました。終戦の三日前におそらく日本の敗戦を察知していたのでしょう、父から「お母さんの言うことをよく聞いて日本に帰りなさい」「お父様は?」「わからん」という会話を最後に、私達は、終戦をピョンヤンで迎え、「日本人を殺せ運動」の中、朝鮮半島を渡って最初の引き上げ船で命辛々、日本に帰ってきました。父はその後、シベリアに抑留され音信不通になりました。私が中学二年生になった時に奇跡的に戻って来た父と再会するまで、お互いの生死もわからないまま、離ればなれの5年間を過しました。その間、母は生活保護を受けながら子供たちを育てました。

NPO法人JKSK(女子教育奨励会) ~女性の活力を社会の活力に~

― 戦後、世の中がまだ混沌とした時期とはいえ、女手一人でそれだけの子供たちを養っていくのは相当な苦労があったでしょうね。

明治生まれの父と母でしたが、その時代にはめずらしく振袖に袴姿の高等女学校の生徒だった母の振袖の中にラブレターを投げ込む若い軍医というように、大恋愛の末、結婚をしたのですが、その後、母は将来は陸軍大将の妻になるのだという夢を持って生きていたのだと思います。

しかし、敗戦で、夢が砕かれたばかりではなく、生活する方法もわからず、その力もない何もできないただの女になってしまったのです。例えば、子どもたちが「お腹がすいた、お腹がすいた」とせがむことに対して、配給されたカボチャをお皿に一切れずつという貧しい夕食を与えながら、「お食事が終わったら、動いちゃダメよ、お腹がすくから…」などということしか言えない。回りは焼け野原で浮浪児もたくさんいた時代ですから、私自身、貧しいこと自体にみじめだと思ったことは全くなかったのですが、自分の意思とは関係の無いところで人生のはしごを外され、何もできなくなっていた母の姿に子供ながらに「あんな哀れな女にはなりたくない」と思ったのです。

― 幼い女の子がそんな風に客観的に母親を見て自立しようとまで決心するなんてよほど、鮮烈な印象深い出来事だったんですね。

ええ。どんな時代になっても、どんな社会になっても、どんな環境に置かれても、誰かに依存して生きていくのではなく、一人で生きていく力を持ちたい。絶対に、そんな哀れな自分にはなりたくない。本当にそう思いました。一生涯仕事をしよう…とその時強く心に決めました。それはそれとして、毎日の生活の中で、何とかして母を助けたい、早く働きたいと思っていましたが、義務教育期間中でしょう?ただただ、早く、義務教育を終えたいと思いました。しかし、ある日、訪ねてこられた父の知り合いの方に、その気持ちをお話すると、「お嬢ちゃん、今でも収入を作ることは可能ですよ」と教えられ、毎週日曜日に、パンを安く仕入れられるところを教えて頂いて一個9円で仕入れて12円で100個売るということをいたしました。まあ、今で言う訪販ですよね。10歳の時です。数か月して三千円の収益を手にした時に、母に渡そうとしたら、母が、涙を流して受け取ってくれことはとても良く覚えています。

― その時の三千円と言ったら相当な価値の金額ですよね!?小学生の女の子がはじめてやった商売でそれはすごい。

この頃から私の中の職業意識がはっきりと芽生えてきたんだと思います。当時は社会全体みんなが貧しかったんですけど、卑屈に感じたことはただの一度もありませんでした。どんな人にも皆それぞれの人生があって同じ人生なんてないのではないでしょうか。様々な与えられる状況があるわけですから、その与えられた状況を受け入れて対応していくことこそが人生。幸せを感じられるかどうかは全て自分次第ですよね。

― 確かに他人を羨んだり、悲観的になったところで何かが変わるわけじゃないですからね。学生時代の木全さんはどのような将来のビジョンをお持ちでしたか?

これは中学二年生の時に遡るのですが、それまで私達家族が何度も父宛に書き続けた手紙のうち偶然にもその一通が父に届いたために、妻も子どもたちもみんな朝鮮半島で死亡したと考えていた父は「誰かが生きている」という思いに奮い立ち帰国を決心し、最終の引き上げ船で戻ってきました。それはもう、家族みんなで大変喜びました。父は私達を前に「自分は社会的地位も財産も名誉も全てを失った。然し、見よ、こんな素晴らしい宝物“子供たちがいる”、自分は医者だ、再起可能だ。もし、日本に将来があるとすればそれはテクノロジーだ、サイエンスだ、力があったらサイエンスの道にすすめ。そして「これからの日本には男も女もない。」「能力があればどこまでも進め」と。父の言葉に心臓がふるえました。「何とすてきなフレイズでしょう」

Earth Interview27 木全ミツ

― 戦後という時代背景を考えると元軍人の方が言う言葉としてはものすごい先見性のある内容ですね。

多分、父はシベリアに抑留されていましたから、その間に、軍国主義だった父はソビエトの社会主義教育を受けて社会主義者になっていたのだと思います。

とにかくこれが私の心をビビビ!っと奮い立たせました。その当時、サイエンス専攻の女子学生というのは、余り先輩もいませんでしたので、父と相談の結果、東大の医学部に進学して公衆衛生を専攻いたしました。

― 社会全体の様々なインフラが整っていない時代ですから、公衆衛生はとても重要だと思うのですが、医学の道に行くなら医者になりたいとは思わなかったのですか?

その頃の私の関心というか疑問は、日本の医学が進歩したという話を耳にするたびに、医者に罹れる人は、一握りの恵まれた人たちではないか、お医者さんに罹れない多くの人々は誰が面倒を見るんだろうということでした。その疑問を父に率直にぶつけると、「いいこと言うな、医学部に進む優秀な男子学生の中には地味であり、収入にならない道、公衆衛生には進む人が少ない、しかし、女性として生涯仕事をしようとするならいい分野だ」と。上下水道もきちんと整っていないような時代ですから日本の将来を考えた時に公衆衛生に取り組む方が社会の役に立てるのではないかと公衆衛生の道に進むことを決心いたしました。私が卒業する1960年頃は、学生運動の始まりであったと思います。日米安全保障条約改定に当たり、「いつまでもアメリカの傘の下で生きていっていいのだろうか」という議論が一部の学生の間で始まった時に、私は、どちらかというとその議論の中に入って一緒に意見交換をする事を好みました。1年上の同じ医学部の学生だった兄は「学生は、勉強をしていればいいんだよ」と専らノンポリ学生を主張していました。学生たちの議論の中で「官僚は社会のため、国民のためになっていない、社会の癌だ」などということを耳にし、そういうもんなのかと私も思うようになりました。

しかし、就職先を決定するにあたり、「日本の公衆衛生のレベルアップを図っていくためには、社会の関連するすべての分野(大学、研究機関、企業、官僚など)に公衆衛生の卒業生が入っていき、打てば響く連携をとって行かねばならない」ということになり、友人達から「あなたが官僚になったら…」ということになりました。当初は、社会の癌などといわれる組織に?と思ったのですが「隠然とした力を持っている官僚をあなたは避けて人生を歩むのか、どうして、1人の力など大したことではないけれど、中に入って、改革をしようとは思わないのか」と真剣に自問自答いたしました。その結果、恋人からも、父からも官僚になることに猛反対をされたのですが、官僚の道(労働省)へと進むことを決意しました。生涯を通して仕事をしていく上で、どんな困難、障壁にぶつかっても「あなたが自分で選んだ道ではないか」ということが唯一、支えてくれると信じていましたので。

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