Earth Interview24 岩井孝夫
日本でバイオリン職人が生きていくのはまだ難しいと思われていた約30年ほど前にストラディヴァリウス、ガルネリウス、アマティといったバイオリンの名器を生んだバイオリンの聖地、イタリア・クレモナに単身渡り、修行を積んだバイオリン職人、岩井孝夫。これまでのキャリアの中でイタリア、ブルガリア、チェコスロバキア、アメリカ、ソビエトなどの名立たる国際楽器製作コンクールにて多数入賞し高い評価を得てきた彼は今、尚多くの職人が活躍するバイオリンの歴史を今に繋ぐ伝統の街「クレモナ」の職人魂を日本でも根付かせようとしている。強く、したたかに、逞しく生きる職人の生き方から海外生活のヒントが見えてくる!?アースタイムズ代表、須藤茂との対談をお送りします。
[ 1  2  3  4  ]  次へ»

右も左もわからないままヨーロッパへ!

― 岩井さんがバイオリンに出会ったのは高校を出られてからなんですよね?どんな経緯から職人さんになろうと思われたんですか?

高校を卒業してから最初に就職したのが長野県の松本にあるギター工場なんですが、僕が中・高校生の頃はちょうどフォークミュージックが流行っていていわゆるギターブームだったので世の中も景気が良くて工場では毎日たくさんのギターを生産していたんです。でも、自分の中ではものづくりをする職人のイメージって1から10まで全てを一人でこなす感じだったので来る日も来る日も工場の流れ作業をやっていてなんか違うなぁって思っていました。

― 確かに「職人」というと全てをこなせるプロフェッショナルというイメージがありますね。

Earth Interview24 岩井孝夫

それで、ある日、寮と工場の行き帰りの道に「バイオリンを教えます」っていう張り紙が貼ってあって趣味でなんとなく弾けたらいいなぁと思ってバイオリンを習いに行き始めたのですが、そこの先生がある時、バイオリンを実際に作っている職人さんのところに連れていってくれたんです。その時に初めてイメージしていた職人さんの姿を見て自分がやりたいことはこれだ!って思いました。

― 現在は日本国内にもバイオリンなどの弦楽器を作る職人さんはたくさんいらっしゃいますが、当時はどうだったんですか?

ほとんどいなかったと思います。というのも、まず、バイオリンを作っても売れないし、生活が成り立ちませんから。

― ですよね。そういう意味ではその当時に国内でも数少ないバイオリンの職人さんに出会えたのは貴重な巡り合わせですね。

でも、そこでの修行はとても厳しかったのと同じ作業の繰り返しで、勿論、今となってはその意味が分かりますが、当時の自分は早く一つの楽器を作り上げたいという気持ちが強かったので結局、逃げ出しちゃったんです。それから地元の京都に戻ったんですけど、やっぱりもっと高い技術を身につけようと東京の学校に入ることも考えたりしました。ところが調べたら学費がものすごく高くてとても当時の自分には無理だったんです。それならいっそのこと、本場で学ぼうと思ってヨーロッパに目を向けました。

― でも、当時はインターネットもない時代ですから、実際に足で回らないと情報が入って来ないですよね。

そうです。結果的にイタリアになったんだけど、何か詳しい知識や情報があったわけじゃないからちゃんと学べる環境があるなら何処の国でもいいと思っていましたね。

― アマティやストラディバリ、ガルネリといった名器を生んだ国だからそういう理由からイタリア、それもクレモナを選ばれたんだと思っていました。では最終的にイタリアになったのはどういう理由からなんですか?

日本で得られる情報には限りがあったのでとにかく一回、見に行ってみようと思い、テントと自転車を持ってヨーロッパ中を下調べしに回ったんです。その時にいろいろな国に行ってみた結果、単純な理由でイタリアだけが学費がタダでむしろ奨学金まで出してもらえて学べる環境があったということからイタリアに決めました。

― そうなんですね。当時、イタリアの職人養成学校が無料だったのは知りませんでした。

同じヨーロッパでも例えばドイツ、フランス、スイスにも国立の職人養成学校はあるけどそれはその国の人のためのものとしてある。それに入る為には言葉も出来なくてはダメ。でも、当時のイタリアでは国が財政難にもかかわらず自国の文化を育てる為に半分は外国人でも受け入れしましょうという寛大な姿勢でしたね。しかも言葉も一緒に教えてくれる。そうすることでクラシック音楽やバイオリン等の楽器を通じて自国の文化を世界に発信することに繋がるという狙いがあるのだと思いますが。

Earth Interview24 岩井孝夫
黄昏にたたずむ秋のクレモナの鐘楼

― それは職人を目指す若者にとってはこれ以上ない環境ですね。

そうですね。とはいえ、当時、僕がイタリアに渡ったのは1981年ですが、外国人の学生が技術を身につけてもそれが仕事になるかどうかわからない時代ですから、実際にはそんなに学生が集まるわけでもなかったんですけどね。

― イタリアではバイオリン職人の町クレモナに最初に滞在されたんですよね。学校生活はどんな感じでしたか?

これが、おかしな話で入学できなかったんですよ。ちゃんと願書も出して試験を受ける権利も得ていたのに行ってみたら今年の定員数はもう決まっていて締め切ったから君は入れないと言われて。

[ 1  2  3  4  ]  次へ»
Earth Interview01 三國清三 Earth Interview02 小菅優 Earth Interview03 舘野真知子 Earth Interview04 須藤生 Earth Interview05 田邊淳司 Earth Interview06 吉良さおり Earth Interview07 平富恵 Earth Interview08 横山智佐子 Earth Interview09 HIDEBOH Earth Interview10 高木康政 Earth Interview11 板倉由未子 Earth Interview12 CHISATO Earth Interview13 門田瑠衣子 Earth Interview15 桂かい枝 Earth Interview16 中島央 Earth Interview17 鈴木岳 Earth Interview18 廣川まさき Earth Interview19 大澤亮 Earth Interview20 高良結香 Earth Interview21 佐々木裕子 Earth Interview22 トシバウロン Earth Interview23 サンドラ・ヘフェリン Earth Interview24 岩井孝夫 Earth Interview25 井原慶子 Earth Interview26 喜井豊治 Earth Interview27 木全ミツ Earth Interview28 梅若ソラヤ Earth Interview29 中島央2 Earth Interview30 大山光一
TOPへ